念流系統

念流(ねんりゅう)

 
念阿弥慈音(神僧慈恩)<ねんあみじおん>(1351? 年〜?年)
名前/ 慈恩、神僧慈恩、義元、相馬四郎義元入道慈恩
流派/ 念流(開祖)
その他/ 奥州相馬で相馬四郎左衛門忠重の子として生まれる
     功名高い父が殺害された為、密かに乳母に抱かれ武蔵国今宿に隠れ住む事になる
     その後仏門へと入るが父の無念を晴らすが為に剣術を磨く
     鞍馬寺にて修行中ある人に剣の妙技を伝授され
     また寿福寺では神僧栄祐から、安楽寺でも兵法を奥旨を得る
     後に見事仇を討ち、再び仏門へと戻               り名を「慈恩」と改めた
     慈恩は諸国を廻り剣技を教え、晩年は信州伊那波合村に長福寺を建て
     自らを「念大和尚」と称した。
     また鎖鎌・棒術・捕縛術にも長けていたと云われている。
 

馬庭念流(まにわねんりゅう)
特色:護身を主とする庶民派剣術
 
樋口又七郎定次<ひぐちまたしちろう さだつぐ>(1554? 年〜1600?年)
名前/ 樋口又七郎、樋口太郎兼重
流派/ 馬庭念流(開祖)
その他/ 上州多胡郡馬庭村の卿士として生まれる
     代々樋口家では念阿弥慈恩が興した念流を継承していたが
     父・高重の代に神道流へと変った
     しかし定次の興味は先祖等が鍛錬をした念流へと向けられる
     その為念流・友松清三入道に師事し17年間師に伴い諸国を廻った
     後に印可皆伝を与えられ馬庭村にて自分の道場を開いた
     だが上野国高崎にて常陸国から来た天道流・村上天流が馬庭念流を罵倒し始める
     当然、定次は無視を決め込んだが執拗な罵倒に怒った弟子が破門の上で
     天流道場に斬り込もうとした為、仕方なく定次が重い腰を上げる事となる
     試合は木刀で行われ定次は相手の隙を誘うと供に気を集中させ、
     その一太刀で相手の受けを圧倒して撃剣のもと相手を沈めた
 

宝山流(ほうざんりゅう)
 
堤山城守宝山<つつみやましろのかみ ほうざん>(生歿年不詳)
流派/ 堤宝山流(開祖)
 

去水流(きょすいりゅう)
 
都築安右衛門尉吉治<つずきやすえもん よしはる>(生歿年不詳)
名前/ 都築吉治
流派/ 去水流
その他/ 宝山流を浅田九郎兵衛から学び、
     更に新影流を林太郎右衛門を学んだ後に自流を開く
 

丹石流(たんせきりゅう)
 
衣斐丹石入道宗誉<きぬいたんせきにゅうどう そうよ>(生歿年不詳)
流派/ 丹石流(開祖)

 
二階堂流(にかいどうりゅう)
 
二階堂出羽守行義<にかいどうでわのかみ ゆきよし>(生歿年不詳)
流派/ 二階堂流(開祖)



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