戦国剣術流派

京八流(きょうはちりゅう)
特色:古来より京に伝わった八流派の剣術
    だが、室町時代には殆どが残っていなかったと云う
 
鬼一法眼<きいちほうげん>(生歿年不詳)
流派/ 京八流(開祖?)
門人/ 俊乗坊重源
 
俊乗坊重源<しゅんじょうぼうちょうげん>(生歿年不詳)
流派/ 京八流
その他/ 剣術は鬼一法眼から学んだ
     一説では、重源から手解きを受けた八名の剣客が興じた八流派を京八流と呼ぶ
 
吉岡憲法直元<よしおかけんぽう なおもと>(? 年〜1604年)
名前/ 吉岡憲法直賢(なおかた)
流派/ 吉岡流(京八流)
道場/ 京都洞院四条に道場
門人/ 吉岡清十郎(京八流)、吉岡伝七郎(京八流) etc
その他/ 前身は京都で染物屋を営んでいた
     当時周辺で時流に乗っていた京八流を修行し、自分独自の工夫を加えて吉岡流と称した
     また、室町御所にも出仕し将軍指南を務め「兵法所」の称を得た
 

京流(きょうりゅう)
 
山本勘助晴幸<やまもとかんすけ はるゆき>(1492 年〜1561年)
名前/ 山本勘助、晴幸、道鬼斎
流派/ 京流(開祖)
その他/ 近江国神崎郡山本村の生まれ
     武田晴信(信玄)に仕えて軍師となる
     当初は老母の面倒を見る為田畑を耕作して生活していたが、
     ある時薪割りの際に出現した猛猪と格闘をして不覚にも右目を失ってしまう
     母が死去すると尾形某に師事し兵術・剣法を学び奥義を極めたので諸国修行にでる
     廻国中に剣客・橋本柳邑と試合をし勝利するが、その弟子数十人が報復に来たので応戦
     勘助は20数名を殺傷し包囲を突破するも左足に重傷を負ってしまう
     以上の事があり勘助の容姿は次第と醜い物となり、
     今川家に仕えようと試みるも已然として用入られる事は無かった
     そんな彼を見出したのが武田信玄であり、勘助は軍師として抱えられる
     また「甲陽軍鑑」では、剣の技量が「兵法仁(とくに技巧を労さずして楽々と勝つもの」
     「兵法者(技巧がすぐれて勝者となるもの)」「兵法遣い(教士)」と3つに分類されているが、
     勘助は最上位の「兵法仁」に位置付けされている。
 

二天一流(にてんいちりゅう)
 
宮本無二之助<みやもと むにのすけ>(生歿年不詳)
名前/ 新免無二斎、平田無二斎、宮本無二斎、宮本無二之助藤原一真
流派/ 当理流(十手術・剣術)
その他/ 武蔵同様、経歴など未だ不明な点が多い人物
     宮本武蔵の実父・養父とされている
     出身地は吉川英治氏が「宮本武蔵」で採用した美作国讃甘郡大原村下庄宮本の出身
     と云うのが定説となって来ているが確証はないと言える
     十手術の達人で知られ御前試合で足利将軍の指南役との三本勝負で二本を取った
 
宮本武蔵玄信<みやもとむさし げんしん>(1584? 年〜1645年5月19日)
名前/ 田原弁助、宮本弁助、宮本武蔵義経、宮本武蔵玄信、新免武蔵藤原玄信
流派/ 円明流(又は円明一流/20歳代前半に創始)、二天一流(開祖)
その他/ 二十八・九歳頃までの六十六度の試合で1度も負けなかったと云う
     慶長10年(1605年)に兵道鏡という書を残す。
     巌流島での佐々木小次郎との大勝負は有名、余生を「五輪の書」著作に注ぐ
     60歳の時、岩戸観音に参籠して「五輪の書」を執筆し
     その2年後死期を悟った武蔵は5月12日「独行道」を記して、5月19日その生涯を終える
 
宮本伊織<みやもと いおり>(1612 年〜1694年)
流派/ 二天一流
その他/ 宮本武蔵の養子
 

丹石流(たんせきりゅう)
特色:戦国時代に創始された実戦的流派
    甲冑等の具足装備での戦闘を想定し、装備の隙間を狙った攻撃をする
    筑前・山陽、山陰などを中心に広まった
 
衣斐丹石入道宗誉<きぬいたんせきにゅうどう そうよ>(生歿年不詳)
名前/
流派/ 丹石流(天台東軍流・支口伝流)
その他/ 別名・天台東軍流だが、東軍流・川崎鑰之助の物とは何ら関係無い
 

雖井蛙流(せいありゅう)
特色:鳥取藩の御流儀
    因みに雖井蛙流の「雖」は発音せず、井哇流同様に「せいあ流」と読む
 
深尾角馬重義<ふかおかくま しげよし>(生歿年不詳)
名前/ 深尾角馬
流派/ 雖井蛙流(井哇流)
その他/ 鳥取藩士馬廻役三百石の河田家の嫡男
     丹石流を父に学び、その後様々な流儀を修得したのち雖井蛙流を開く
     天和二年に百姓といさこざを起こし、三人殺害の罪で切腹
 

三神流(さんしんりゅう)
 
山本嘉助勝之<やまもとかすけ かつゆき>(生歿年不詳)
名前/ 山本勝之
流派/ 三神流
その他/ 一刀流・小野次郎右衛門の一刀斎以前の師匠
 

太虚流(たいきょりゅう)
特色:激しい刺殺剣術を得意とする
 
十河九郎兵衛高種<そごうくろべえ たかたね>(生歿年不詳)
流派/ 太虚流(開祖)
その他/ 戦国武将であった三好長慶の弟・十河一存(そごうかずなが)の一族で、
     中条流を学んだ後、戦国時代中期に独自の工夫を加えて太虚流を創始した
 

無敵流(むてきりゅう)
 
進藤雲斎<しんどう うんさい>(生歿年不詳)
流派/ 無敵流(開祖)
その他/ 江戸時代、寛永年間頃に越前の富田流の流れを汲む雲斎が江戸で自流を立てた
     だが、門人の数は極めて少なかったそうだ
 

深甚流(しんじんりゅう)
特色:突きを主体とした剣術
 
草深甚四郎時信<くさふかじんしろう ときのぶ>(生歿年不詳)
名前/ 草深甚四郎
流派/ 深甚流(無拍子流・開祖)
その他/ 加賀国草深村に生まれる
     南北朝時代の新田義貞の部将、畑時能の後裔と伝えられるが確かでは無い
     剣術は新当流・塚原ト伝から学んだ
     因みに甚四郎はト伝に太刀では敗れたが槍術では勝利したと云う
     他にも彼は無拍子流という柔術も開き、また驚くべき事に妙術まで扱えたと云う
     (天狗隠しに遭った際に兵法の妙を悟ったという逸話も残っている)
 

無外流(むがいりゅう)
特色:免許皆伝の伝書は全て禅の言葉から成っており
    禅と剣を融合した理論となっている
 
辻月丹資茂<つじげったん>(? 年〜1727年)
名前/ 辻平内(へいない)、辻月丹
流派/ 無外流(開祖)
その他/ 近江甲賀郡馬杉村出身
     山口卜真斎と伊藤将監の両名から山口流を学び、江戸に山口流道場を開く
     後に禅寺和尚から「一法実無外、乾坤得一貞、吹毛方納密、動著則光清」
     と諭され流名を無外流とした。
     そして、享保12年(1727年)に病没
 
辻喜摩太<つじ きまた>
名前/ 杉田庄左衛門
流派/ 無外流(2代目)
その他/ 越前大野藩士であった杉田庄左衛門が名前を辻喜摩太に改名し、無外流2代目を継いだ
 
辻平右衛門<つじ へいうえもん>
名前/ 三沢千代太郎
流派/ 無外流(3代目)
その他/ 喜摩太の弟子であった三沢千代太郎が名前を辻平右衛門に改名し、無外流3代目を継いだ
     後年、山城国愛宕郡大原の里へ隠居する際に
     麹町道場を閉めた時は、門人の数は僅か7名しかいなかったと云う
     また、平右衛門が残した無外流の型は3段37手であった
 

九鬼神流(くきしんりゅう)
 
薬子丸蔵人隆真<やくしまるくろうど たかまさ>(生歿年不詳)
名前/ 薬子丸蔵人
流派/ 九鬼神流(開祖)
 

景流(かげりゅう)
 
山本久弥正勝<やまもときゅうや まさかつ>(生歿年不詳)
流派/ 景流(開祖)

 
鉄人実手流(てつじんじってりゅう)
 
青木常右衛門吉家<あおきつねえもん よしいえ>(生歿年不詳)
名前/ 青木常右衛門
流派/ 鉄人実手流(實手流/開祖)

 
駒川改心流(こまがわかいしんりゅう)
特色:剣での勝負に際し、短い武器で制する為の修練をつむ剣
 
駒川太郎左衛門国吉<こまがわたろうざえもん くによし>(生歿年不詳)
名前/ 駒川太郎左衛門、桜田次郎左衛門貞国
流派/ 駒川改心流(開祖)
その他/ 桜田次郎左衛門貞国は若年ながら技量・精神・才能を認められ、その全てを印可された
     その後、修得した技に小太刀・実手・薙刀・鎖鎌術・三ツ道具等の術を複合させ
     自流・駒川改心流を立てた。

 
鞍馬流(くらまりゅう)
特色:現代剣道に参考となる技を多く持っている
    教訓歌は「気は長く心は丸く腹立てず己小さく人は大きく」
 
大野将監<おおの しょうげん>(生歿年不詳)
流派/ 鞍馬流(開祖)
 

圓心流(えんしんりゅう)
 
犬上左近将監長勝<いぬがみさこんしょうげん ながかつ>(生歿年不詳)
名前/ 犬上左近将監
流派/ 圓心流(開祖)

 
今枝流(いまえだりゅう)
 
今枝佐仲良台<いまえださなか らだい>(生歿年不詳)
流派/ 今枝流(理方今枝流・今枝佐仲流:開祖)
その他/ 理方今枝流、今枝佐仲流とも云う
     祖父・今枝弥右衛門良重と長男・今枝四郎右衛門良政の両人が一流を興し、
     それに際し、良台の代から今枝流の流名を称した
     (一説に長男・良政の代から今枝流を称したともある)
 

鑑極流・和田流(かんきょくりゅう/わだりゅう)
     
和田十郎左衛門正重<わだじゅうろうざえもん まさしげ>(生歿年不詳)
名前/ 和田正重、随心
流派/ 鑑極流(和田流)
その他/ 豊前の生まれ
     願流を阿部七左衛門道是から学び、同門である山田甚五兵衛と共に一流を興じ、
     備後福山藩・水野候の命で流名を鑑極流と称した
 

四天流(してんりゅう)
 
成田清兵衛高重<なりたきよべえ たかしげ>(生歿年不詳)
名前/ 佐々木卯平太、清水甚兵衛、成田高重
流派/ 四天流
その他/ 筑前黒田藩や肥後熊本細川藩などに仕えた
     宇都宮で戸田流を佐々木元伯から学ぶ
     二天流・寺尾求馬信行との試合に敗れ、その門人となる
     その後師から剣技を四天流と命名される
 

無明流(むみょうりゅう)

 
金比羅山伏正寿斎<こんぴらやんぶし せいじゅさい>(生歿年不詳)
流派/ 無明流(開祖)

 
貫流・尾張貫流(かんりゅう/おわりかんりゅう)
特色:槍術を主とし柳生新陰流や円明流の技法も組み込まれている
 
津田権之丞信之<つだごんのじょう のぶゆき>(生歿年不詳)
流派/ 貫流(開祖)



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